飽きたらやめる日記

アキストゼネコの専門家

2020/12/07/月 

来る日も来る日もどうにもこうにも。

今日こそは外に出て野菜を買わないと、

っていうかトイレットペーパーも残り1個しかない。

詰み、だいぶ詰み。

でも今日も外に出なかった。

どっしり構えて微動だにせず。

ほぼ奈良の大仏。すなわちこれ、大仏み。

ちゃうねん、そんなん言うてる場合とちゃうねん。

 

とりあえず風呂に入った。

もちろん数日ぶりに入った。

数日風呂に入ってないって、もう、典型的にあれやんけ。

 

TVerで「かまいガチ」を見る。

Creepy Nuts後編。今週も面白かった。

バラエティーで土下座に勝てる戦法、思いつかんな。

来週のニューヨークお悩み相談も、面白そうやから見よう。

なんやかんや、TVerAmazon primeYouTubeばっかり見てる。

その隙間にradiko挟んでる。

ちょっとだけでも吸収せえよ、ちょっとだけでも噛み砕けよ、

ちょっとだけでも理解して自分のもんにせえよって、

どっかで思ってるけど、いかんせん頭はぼやぼやしたまま。

 

Creepy Nutsの「板の上の魔物」がM-1のCMに。

めっちゃカッコいい。

曲も映像も映像に挟まる文章もカッコいい。

最後の「笑いなんてなんぼあってもいいからね」が、

不意打ちで来たから鼻水ズビーになった。

おいらズビー。鼻水の妖精さ。

やれやれ、怪しいもんじゃねぇかって?

ここはひとつ、ティッシュに免じて様子を見ちゃくれねぇかい?

ま、おいらのことは、気軽にズビーって呼んでおくれよ。

 

Amazon primeで「そこにいた男」視聴。

30分くらいの短編映画。

いわゆる「新宿ホスト殺人未遂事件」に着想を得た作品。

凄惨な事件現場の写真がネットを駆け巡ったり、

犯人の証言や被害者との関係性が、大衆の下衆な好奇心を刺激したことを、

覚えている人も多いと思う。2019年の事件だし。

この映画は事件を美化せず、茶化さず、

主人公(犯人)の視点を追体験しているように感じた。

人を刃物で刺すリアルも、刺された人間のリアルも、

夫を殺された妻のリアルも分からないけど、

「これはリアルだ」と思わせてくれる作品だった。

純粋な愛ゆえに凶行に走ったとか、男女の愛憎の果てとか、

いくらでもドラマチックにセンセーショナルに描けるモチーフで、

わざわざ股間にボカシが入る画角で撮ってたり、

最後の最後に主人公が愛おしく回想する男が半ケツだったり、

その間抜けさがめちゃくちゃにリアルで、

翻ってそれは実際の事件を美化・偶像化して陶酔することが、

いかに見当違いであるかというアンチテーゼなのかもしれない。

主人公が女で、感情も体も動き回ってるのは女なのに、

タイトルは「そこにいた男」というのもグッとくる。

殺すほど愛したり、夫を殺した女に面会に行ったり、

女は物理的にも精神的にも行動していて、

それに対して男は本当に「そこにいた」だけで、

でもそれが主人公にとっても男の妻にとって「すべて」なところ。

対比がすごい。

主人公は男が「そこにいた」だけで良かったし、

男の妻にとっては男が「そこにいた」だけで最悪で、

そういう全部をまとめて「そこにいた男」ってことなのかな。

単純に底(人間の底辺)なのかもしれないけど。

 

ちょっと語ってしもたから、西に伝わる魔法の呪文で終わります。

 

「 知 ら ん け ど 」