飽きたらやめる日記

アキストゼネコの専門家

20200905 16歳の私も38歳の私もマッチを飲んているけど、その意味合いは変化というか複雑化して、あの頃には存在しなかった郷愁とか切なさとか照れ笑いとかが加わって、私にとってのマッチは顔も名前も知らない覚えてないあの場所にいた私の、私たちの共通のスイッチであって同時にただの黄色くてシュワッとする甘い飲み物だということです

活動的な重度障害者の人が「地域で暮らす」みたいなやつが、

よく分からないでいる。

いちいち気合入れなくても、好きなとこで暮らせたらいいのに。

人の手を借りないと暮らせない、生きられないからって、

腹の底から力入れて「地域で暮らすぅー!!」って、

叫ばないとやっていかれません、みたいなのが分からない。

いや、分かるけど。

大人だから分かるけど、大人げないから分かりたくない。

24時間、ひっきりなしにヘルパーさんが必要で、

複数の事業所から来てもらってシフト組んで、大変だと思う。

重度障害者は胆力がないと、好きなとこで暮らすこともできないの、

まじで意味が分からない。

 

私は今のところ人の手は借りつつも、

ヘルパーさんには入ってもらわずに「地域で」暮らしている。

でも24時間ヘルプミーなターンに入ったら、

この暮らしを維持できる気がしない。

かと言って、グループホームとか大型施設でやっていける気もしない。

子供の頃から集団行動が苦手だから。

施設に入れば言うまでもなく集団行動だし、

地域で暮らし続けるとしてもヘルパーさんのチームとの集団行動になる。

どっちにしろ私は、他の人とは違う意味でヘルプミー状態だと思う。

しかも後者は、私が中心のチーム(集団)だ。

 

気が重い。

 

まったくもって未定の未来を思うだけで頭を抱える。

明日死ぬ可能性も、数十年死なない可能性もある。

私は生きれば生きるほど、体の自由が失われていく。

去年できていたことが、今年はできないなんて珍しくない。

この分かりやすくポンコツな身体を引きずって、

いかに自分に都合よく生きていけるか?を考えている。

 

地域で暮らしたい重度障害者が、

なんか立派な考えを持ってるとか、自立がどうのこうのとか、

そういうことはそういう人に任せる。

私は無職のまま好きな脚本の勉強を続けて、

月に8万円の年金と貯金の切り崩しで、この道の突き当りまで行きたい。

 

中谷典子