7月1日〜9月30日を引きこもり強化で暮らす計画。
【その5】
(前回→地震雷火事五輪、拭いて流して丸めて捨てて - 飽きたらやめる日記)
ネットスーパーの導入により、
「もうこれ食べ物と日用品に関しては問題ねぇな」
というところに早々とたどり着いてしまった。
どうしてもこんなに便利なものを利用してなかったのか、
我ながら理解ができないな!と思ったけど思い出した。
配達料の値上げに絶望して「もう注文しない…」と、
ネットスーパーとの別れを決意したのもあるけど、
「こんなに便利だと、いよいよ引きこもりになってしまう」
という危機感があった。確かにあったからだ。
私は20代前半で初めての一人暮らしを始めたのだけど、
その時の理由も「このまま実家だと引きこもりになってしまう」だった。
私は、引きこもりを避けたかったのだ。
なんせ私には溢れんばかりの引きこもりの才能がある。
何ヶ月太陽を見ずとも、何ヶ月風に当たらなくとも、平気。
毎日毎食同じ物ばかり食べていても平気。
とにかく引きこもりに向いている。めちゃくちゃ力を発揮できる。
だけど私は知っている。
本当に引きこもると、死ぬ。
隠しきれない己の才能を解放しようものなら、私は死ぬ。
無職で身体障害者であっても死なない。良い国だと思う。
でも引きこもると、死ぬ。
ガチの引きこもりになると、社会との接点が死ぬ。
その死がじわじわと広がって、少しずつ様々なものが死んでいく。
そして本当に死ぬ。
死んで死んで死んでセニョリータ状態である。
死んで死んで死んでセニョリータ状態って何だ。
ポジティブに考えるならば、私が必死で避けてきた引きこもりを、
どうにかこうにか抑え込んできた引きこもりの才能を、
ついに全身全霊ぶちかませる時が来た、それだけの話だ。
正直、シリアスに怖いのはコロナだけで、引きこもり生活に苦はない。
私は思い出してしまったのだ。
自分がめちゃくちゃ引きこもり適性が高いこと。
一度突き進んだ道を引き返せる自信がなくて、
なんとか引きこもり切らないようにブレーキをかけてきたこと。
しかし今、ガイアが俺にもっと引きこもれと囁いている。
よーし!
引きこもるぞー!!(手足につけていた合計100kgの重りを外しながら)